「おかげさまで」という口癖
先日、ある檀信徒の方とお話をしていた時のことです。ふとその方が、こんな言葉をくださいました。
「住職の“おかげさまで”という口癖がとても印象的で、私も意識して使うようになりました」
言葉には心が宿ります
何気なく使っていた「おかげさまで」という言葉が、どなたかの心に届いていたこと。それを伺い、私は胸がじんわりと温かくなりました。
「おかげさまで」は、仏さまやご先祖さま、そして周囲の人々のお陰で今がある――という感謝の気持ちを表す、日本語ならではの美しい言葉です。
すべては「おかげさま」
何かがうまくいったとき、自分の努力だけで成し遂げたように思えることもあります。しかしよくよく振り返ってみれば、見えないところで誰かが支えてくれていたり、導かれていたりするものです。
たとえば、朝起きてご飯が食べられること。健康で仕事に向かえること。すべてが当たり前ではなく、多くの「おかげさま」に支えられています。
日常の中にある仏の教え
「おかげさまで」という言葉は、仏教でいう「縁起(えんぎ)」の教えに通じています。すべての物事は、無数の縁が結び合って成り立っている。だからこそ、感謝の心を忘れずに、日々を丁寧に生きていくことが大切なのだと感じます。
この言葉をきっかけに、私たちの周りにある「ご縁」や「支え」に気づき、やさしい気持ちで人と接することができたら――きっと、毎日はもっとあたたかくなるのではないでしょうか。
今日もまた「おかげさまで」
私自身、「おかげさまで」と自然に口にしているのは、感謝の心を忘れずにいたいという思いからです。ですから、そうした言葉を誰かが受け取ってくださったことは、私にとっても「おかげさま」そのものです。
皆さまも、ぜひ「おかげさまで」という言葉を意識して使ってみてください。きっと、言葉が心を整えてくれるはずです。
合掌 聖徳派