目次
こんな理由で入門していいんですか?
実際に多い6つの動機
入門のご相談をお受けしていると、多くの方が最初に、少し申し訳なさそうにこうおっしゃいます。
「こんな理由で仏門に入ってもよいのでしょうか」
住職として、まずお伝えしたいのは、入門の動機に、正解・不正解はありませんということです。
人はそれぞれの人生の中で、迷い、悩み、立ち止まる時があります。
仏門を訪ねる理由も、その数だけ存在します。
ここでは、これまで実際に多く寄せられてきた、代表的な6つの動機をご紹介します。
① お坊さんという職業に憧れがある
「お坊さんという存在に、昔から憧れがあります」
このような声は、決して珍しいものではありません。
憧れから入ることは、不純な動機ではありません。
僧侶という生き方や在り方に心を向けること自体が、仏門への自然な入り口です。
大切なのは、入門後にどのように学び、修行とどう向き合っていくかです。
② 精神世界や心の学びに関心がある
「精神世界が好きで、仏教をきちんと学びたい」
こうした理由で相談に来られる方も多くおられます。
仏教は、漠然とした癒しだけを求めるものではなく、
心の在り方を実践として学ぶ教えです。
関心や興味から始まった学びが、やがて自分自身を深く見つめる力へと育っていくこともあります。
③ 修行し僧侶になり、仕事に説得力を持たせたい
「コンサル業や会社経営をしており、僧侶としての修行が、自分の軸や説得力になるのではと思いました」
このような動機も、実際によくあります。
仏教は、社会と切り離された教えではありません。
社会の中でどう生き、どう人と関わるか――その姿勢を整えるために修行を選ばれることは、決しておかしなことではありません。
④ 生きるのがつらい
「正直に言って、生きるのがつらいです」
この言葉とともに相談に来られる方も少なくありません。
仏教は、人生の苦しみから始まった教えです。
苦しさを抱えているからこそ、仏門を訪ねるという選択は、
とても自然で、誠実なものだと受け止めています。
⑤ 僧侶として活動する予定はないが、人生の軸として修行したい
「お坊さんとして表に出るつもりはありませんが、自分の人生の軸として修行したい」
このような考え方も、今の時代ではごく自然です。
僧侶であることは、職業だけを意味するものではありません。
生き方として仏教を学び、実践していく――
それもまた、仏道の一つの形です。
⑥ 家族やペットの供養を、自分の手で行いたい
「大切な家族や、ペットの供養を自分の手でできるようになりたい」
近年、とても増えているご相談です。
誰かに任せるだけでなく、自ら手を合わせ、祈ることができるようになりたい。
その思いは、とても仏教的な願いだと感じています。
かくゆう私自身も
かくゆう私自身も、かつて会社経営をしていた時期があります。
その中で、離婚、がんの経験、そして取引先業者からの裏切りなど、
さまざまな出来事が重なりました。
心身ともに余裕を失い、
「このままでは自分を見失ってしまう」
そう感じたとき、自分自身を取り戻すために足を運んだのが、瞑想道場でした。
その体験をきっかけに、仏道という道が、私の前に静かに開かれていきました。
当時、最初から僧侶になるつもりがあったわけではありません。
ただ、自分の心と向き合う必要があった――それだけだったように思います。
最後に
ここに挙げた6つの動機は、どれも特別なものではありません。
多くの方が、迷いながら、悩みながら、
それでも一歩踏み出そうとして口にされる言葉です。
大切なのは、どんな理由で入門するかよりも、
修行を通して自分とどう向き合っていくか。
入門について迷われている方は、
どうぞご自身の今の気持ちのまま、一度ご相談ください。
