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入門面談では、何を見ているのか
―― 不合格になることはありますか?
はじめて入門面談を申し込まれる方から、よくこのような声をいただきます。
「面談と聞くと、少し怖いです」
「何か試されるのではないでしょうか」
「不合格になることはありますか?」
確かに、「面談」という言葉には、どこか緊張感がありますよね。
今日は、住職として 入門面談で実際に何を見ているのか、そして なぜ面談を行っているのか を、率直にお話ししたいと思います。
学力や知識は、見ていません
まず、はっきりお伝えします。
入門面談で、学力や知識を評価することはありません。
- 仏教をどれくらい知っているか
- 経典を読めるか
- 漢字や専門用語が分かるか
そういったことは、一切問いません。
分からないことは、これから学べばよい。
むしろ「何も分かりません」と言ってくださる方のほうが、こちらとしては安心することもあります。
面談は、試験ではありません。
見ているのは「志」と「生活の現実」
では、何を見ているのか。
それは、とてもシンプルです。
- ① なぜ仏門を志されたのか
- ② 今の生活の中で、修行が成り立つか
志といっても、立派な言葉で語る必要はありません。
- 人生の節目に立っている
- 心を立て直したい
- 大切な人を見送った
- 自分の生き方を見つめ直したい
そうした正直な動機で十分です。
同時に、生活の状況も確認します。
- 仕事や家庭との両立は可能か
- 体力的に無理をしていないか
- 無理な理想を抱えすぎていないか
これは、合否を決めるためではなく、その方を守るための確認です。
無理な場合は、止めることもあります
正直に申し上げます。
状況によっては、「今はやめておいたほうがいい」とお伝えすることもあります。
- 心身が限界に近いとき
- 生活が極端に不安定なとき
- 修行に過度な期待や依存が見られるとき
そのまま進めば、ご本人が苦しむ結果になると感じた場合、住職として止める責任があると考えています。
入門は、逃げ場ではありません。
人生を整えるための道です。
「変な人を取らない道場」でありたい
少し言葉は強いですが、あえて正直に書きます。
当道場は、誰でも無条件に受け入れる場所ではありません。
それは冷たさではなく、信仰と修行を扱う場としての、最低限の誠実さです。
- 周囲を傷つける目的の人
- 依存や支配を求める人
- 現実から目を背けたいだけの人
そうした方を受け入れることは、結果的に誰のためにもなりません。
だからこそ、面談があります。
面談は「落とすため」ではなく「確かめ合う時間」
最後に、いちばんお伝えしたいことです。
入門面談は、こちらが一方的に判断する場ではありません。
- この道場は、自分に合っているか
- この住職に任せてよいか
- この道を、歩いていけそうか
それを、互いに確かめる時間です。
面談後に「今回は見送ります」と言ってくださっても、それは不合格ではありません。
誠実な判断です。
面談が怖い方へ
緊張しなくて大丈夫です。
取り繕う必要もありません。
うまく話せなくても構いません。
沈黙があっても、問題ありません。
そのままのあなたで、来てください。
仏門は、「立派な人」だけのものではありません。
人生に、少し立ち止まった人のための道でもあります。
